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こんな石巻に誰がした

早いもので、あと一ヶ月弱で石巻市長選挙の公示があります。
一期は四年、早いと云えば早いような、そうでないような。

行政=首長の手腕ではない、とは思うような気はしますが、
首長の息づかいと云うか、顔が、心が見えないと云うかね。

確かに何代か前に出ていた噂では、何か疑惑があったりして、
利権がらみの話題が消え隠れしていたのを聞いたことがある。

旧北上川河口にある「とある漫画館」の修理代は幾らなの、
7億7千万円を石巻市の復旧予算から捻出し修理したとか。

そして、昨日から、またまた一ヶ月間の修復をしたとかで、
リニューアルオープンの様子がBSのニュースになっている。
市民のの生活よりも優先する事業の全国ネットでの放送です。

市が一番最初に決めたこと、市街の復旧構想よりも早いよね。

旧北上川の河口には中瀬があり漫画館はここに建っている、
市民の生活、復旧復興にはまったく縁のない建物ですねぇ~

県内、津山と云う地区にも、同類の漫画館があるようです。
市民には、震災後に漫画館をそこに譲ってしまおう、と云う
意見があったとか、まあ未確認ですが当たり前の意見ですね。

石巻市水産復興会議と云うのがあり第45回を数えています。
国や県市の行政、水産業の経営者等々が、震災から決起して、
石巻市の水産業の復旧復興のために尽力してきたんですねぇ~

その復興会議に石巻市の首長は一回も出たことがないんです。
公務が多忙なのはわかる、わかります、はい、分かり鱒よぉ~

まあ首長がどうのこうのではなく、行政の部長クラスとか、
地元の有力者とかが、こんな○○にしたんでしょうかねぇ~

どうなんでしょう?
一言、云いたいのは、この首長が変わっても変わらなくとも、
市民にとって何が必要なの、その復旧のために尽力願うのみ。
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焚き火の灯り

停電、断水、LPガスは水没、石油ストーブも水没、
でも二階にあった衣類や少しの飲料等は無事でした。

とまとんと手分けして暗くなる前に夜の準備ですが、
キャンプ用品一式が二階にあり、ランタンとコンロ
を取り出し、少しあるホワイトガソリンを補充する。

一番心配なのがワン(こっこ)の餌、大半が一階にあり
水没していましたが、開封前のものは大丈夫でした。
でも数日分しかなく、ことある毎にSOSしました。

5時半になると暗くなり始め6時には真っ暗になる、
外灯も窓の明かりもなく、時々通るクルマのヘッド
ライトと懐中電灯の明かりが唯一明るいものでした。

13日の夜は、飯盒でご飯を炊き、鯨缶詰での晩餐、
たぶんとまとんは暫くぶりの食事だったと思います。

6時になり暗くなる、ロウソクを灯して、ビールで
乾杯をして、コンロで暖をとり、寝る前にあたりの
状況を確認すると、焚き火や何かの灯りが少し見え、
ほんの一瞬でしたが、ホッとしたのを覚えています。

乾電池式のラヂオは、楽天狗鷲の試合を聞くために、
二個あり、一個は一階で水没したものの、もう一つ
は二階にあり無事で、ラヂオからの情報聞けました。

まあ、このころのラヂオからの情報は、結果だけで、
聞いても「ああそうか」だけのものでしたが、余震
が多く、それの震度と津波の有無、この情報の入手
にはラヂオは必須のアイテムだったのは確かですね。

夜中の避難も考えるられるため、ディパックと毛布、
ワンの一通りの準備、クルマではなく徒歩での避難、
その避難場所とルートも確認して7時には寝ました。

ただ生きることだけを

四時ルール、帰宅の道程はまだまだ決まりそうもない、
ただ歩きやすい道路をあれこれ探しながら歩いていた。

徒歩なので、出来るだけ午後四時には家に着きたいと、
直線にして4キロ程度の道程ですが、二時間みてました。

途中まで自転車で行けそうですが、ここ魚町はヘドロ
がすごくて、長靴で冴えも足が抜かるんで大変でした。

けさ、家を出るときにドアに行動メモを貼ってきたので、
とまとんが帰っていれば、そのメモを見て行動している、
はずと思っていたんだけど、結局は見ないでいたらしい。

テクテク歩いていると、知り合いと会ったり、知り合い
ではなくとも知っている顔を見ると嬉しくなりました。

それと同じく、亡くなった方の情報も入りはじめました。
この大地震と大津波の惨状は、現実として認めつつある、
でも亡くなった方のことについては、風穴が空いたように、
現実に背きたい気がして、受け入れに時間を要しました。

実は、うちの社長は、この避難所(会社)から出ないので、
○○社長は亡くなったらしい、とか怪情報が流れたとか。

まあ、会社は全壊ですしご自宅も全壊で、生存の情報が
ないのですから、死亡説が出でるのもわかる気がします。

○○じゃないか→○○らしい→○○だ、そんな感じです。

13日、午後四時前に家の近くにくると、車の通れる道が
あれこれあるようで、車が往来しだし嬉しくなりました。

少しですが、避難所に水や食料が届いた、と云うことを
聞き、これで生きられるなぁ、と一瞬思ったしだいです。

家に帰ると、とまとんが居る気配があり、気が抜けたと
云いましょうか、特に何もリアクションができなかった。

抱き合って喜ぶとか感嘆の声を上げるとかできなかった。
それでも、ささやかに生存を喜び、夜の準備やらに入る。

自宅周辺の漂流物などからビールを見つけて喜びました。
近所に「あいのや」と云う地元スーパーがあり、そのお店
から流れた商品があり、勝手に備蓄することにしました。

何も考えないで、ただ生きることだけを思うことの日々が、
とまとんと無事合流した、この瞬間から始まったわけです。

午後四時ルール

13日、三日目の朝、いつもの時間に目覚ましで目覚める。
3時35分、まだ外は真っ暗、毎朝の真向法、柔軟体操の
スペースもないけど、やっと生きていると云う実感わいた。

こっこは元気、でも余震があると吠えまくるのは可哀想だ。
とまとんは帰らなかった、看護師の奉仕をしているのかな。

暗いうちワン散歩をして、エサをやり、一日の行動予定を。
明るくなり、朝ご飯の用意も考え、キャンプ用品を出して、
今夜のからのために少し用意を進め服の準備もしてしまう。

一階の一カ所のベランダ窓、地震の揺れで開いた、隣人に
聞く、ワンは一晩中、この開いた窓の前で吠えていたとか。

10時、身支度をして、家から長浜の方に向かい行動開始、
たぶん距離は1キロ、勿論道路はない、瓦礫ではないよね、
壊れた家々を超え、路地を越え、長浜海岸まで小一時間………

気をつけるのは怪我、瓦礫のクギ、側溝の穴、気をつける。
国道398を歩いて会社に向かう、皆んな歩いていました。

知っている顔、製造確認ができる、何かよそもんもいるなぁ
防犯とか、会社も家も、本格的に考えないといけないねぇ~

家から会社までの約4.5キロ、二時間ちょいかかりました。
昼飯、いろいろ確保されていて、いろいろ満腹に食べました。

打ち合わせして3月17日に集合することにして自宅待機に。

避難所の中国実習生を顔を見て、とまとんが居るであろう?
医師会に行こうか迷うが、「午後四時には帰途に着く」と云う
ルールを申し合わせたので、本日も断念して帰途に着きました。

ハッキリ云って、ここ工業団地には知らない人がウロウロし、
油断していると構内に入り込み、何か物色して持ち去るとか。

物騒なので、やはり行動は午後四時ルールが良かったですね。

どろのようにねむる

こっこは落ち着いたようなので、夜の準備を終えてから、
ディパックやら避難の装備も作り、明日の衣類も準備し、
少し近隣の状態を探索することにして装備して出かける。

と云っても暗くなる前の小一時間、午後6時には帰れる
ようにと、まあ慣れた散歩の行程なので逆算して出発を。

避難所は、渡波公民館、渡波小学校、渡波消防派出所や、
渡波保育所や渡波農協にも避難者が居ることを確認した。

JR渡波駅にも何人か避難者が居る、渡波小への避難者
のクルマだと思うが、駅前は流されたクルマがびっしり。

万石橋に行ってみる、津波の高さ、スピード、強さは?
橋から見える親戚のおんちゃんちは、一階が流れている。

水没しているんで、あそこまでは行けない、湾岸、岸壁、
の方は、特に浸水が多く、行けないところが多くあった。

途中、数人の知り合いと会話を、普段は会うこともなく、
会話することもないだろうが、情報交換は必要なんです。

家に戻り、二階にわずかなスペースを作り座ったけども、
暖房はナシ(数日前に灯油ストーブを一階に)、ロウソク、
厚着をして酒を飲む、こっこのエサの量が心配になるw

備蓄していた飲料水はある、食料もあれこれある、でも
ワンのエサが少ない、長期戦になるのでそう思いました。

昨夜の疲れもあり、こっこと一緒にベットに潜り込んで、
寝ることにする、勿論ね、玄関の鍵は開けたままでした。

もう、どうなっていいんでラヂオのスイッチはOFFに。
きっとこの夜の寝姿は「どろのようにねむる」でしょう。

こっこはおりこうさん

ドアを開ける、いつもならこっこ(パピヨン♀)が飛んで来る。
玄関で70㎝部屋で床上50㎝の浸水があったと推測する。

やはりこっこはダメかと思いつつ呼んでみる「こっこぉ~」
一回呼ぶ、いや二回呼ぶ、ダダダダと云う階段を降りる音、
いやあ、この時のことは忘れられない、生きていたんです。

エサよりもまずは散歩、いつもの散歩コースを歩きますが、
歩道にはガレキがいっぱい、道路も冠水とでこぼこな状態、
それでも、いつものウンチをしていっぱい散歩をしました。

家に津波が充満したとき、どうしていたかは推測するしか
ないけども、二階に上がり一夜を過ごしたのは分かります。

ベットが濡れていたり、サイドボードが囓られていたりと、
あの地震と余震と津波と、怖かった惨状が読み取れました。

階段に置いてあった大きな絵、これが階段を塞いでました、
それでも何とか階段を上がり、避難したオリコウさんです。

ワン散歩が終わり、エサをやりながら、暗くなる前に夜の
準備をしました、お酒とロウソクは懐中電灯などなどです。

サバイバルは、キャンプの要領で出来ますので大丈夫です。
そして、近隣の生存確認を、あれこれ情報交換をしました。

とまとんは帰らず、まあ安全な職場なので業務中なのかと、
思いつつ、あのご遺体がとまとんだったとか、思いが巡る。

何の音もしない我が家

津波のあれ、時速30キロ以上のスピードで走るのだとか。

海に近いエリアはすごい、魚町から湊町は、海からと
北上川の河口から、そして牧山もあって、プール状に
なったようで被害は甚大、歩くのも難しい地域だった。

鹿妻からは、奥が深い地域でもあり、津波が遠くまで
流れて行ける地域でもあり、湊町よりは歩き易かった。

渡波は、長浜からの津波と、万石浦からの津波が合い、
きっと悲惨な状態になっていると想像して家に向かう。

見たくないモノは見ない、度胸はないのでそんな感じ、
でも、見えたモノは記憶しますし受け入れて来ました。

これは受け入れられない、理解できないっちゃと云う
感じの現象・事象はなかったように思うのであります。
とまとんが、行方不明の中国実習生のことが書かれて
いない、と云うことですが、書き忘れていましたので。

湊中学校に中国の実習生を連れて行くと、行方不明の
実習生一人が既に避難していて、ニコニコとしていた。

いやあ、良かった、避難所でリサーチしてみましたら、
パニックになって海の方に歩いていた、この研修生を
とある企業の経営者が、スイシンの実習生じゃないか
と見つけて、自社の実習生と一緒に避難してくれたと。

偶然とは云え、この実習生は九死に一生そのものです。

鹿妻から山沿いの「中道」なかみちと云われている道路を
歩きながら知り合いの家々を確認しながら家路に向かう。

きっと道路にもガレキはあったんでしょうが、24時間
経ったこの時は、動かせるガレキはかたづけられていて、
道路は比較的歩きやすく、順調に我が家に向かっていた、
と云うものの、流されたクルマが田圃に埋まっていたり。

何とか渡波小までたどり着く、避難した人達のクルマが
流され折り重なっている、すごい勢いの津波だったのか。

時間は、午後5時前、2時間半以上かけて我が家に着く。
家の前までガレキがあるが、狭い庭にはガレキ類は無い、
「家はあるのか」「家があった」これが出た心の声です。

家の周辺を散策、大きなダメージはないがドロ汚れから
推測して170㎝の水位、でも何かが守ってくれていた。

いつもなら、家の前でウロウロしているとワンが吠える、
何も聞こえない、静かだ、何の音もしない、立ち止まる。

すかいらいんV36

家の前に置いていた「スカイラインV36」が津波に
流されて、方向的には家の窓に激突して崩壊寸前では。

と思っていたんですが、流されずに鎮座していました。
帰った時は「ピイピイ」と警告音がなって、電気系統は
生きていました、そしてトランクも開いていたんだよね。

後で気づいたのですが、危機管理と云うんでしょうねぇ~
車が水没したとき、ドアロックを外してトランクも開け、
脱出しやすいようにするシステムを積んでいるのかなと。

でも暫く気づかずに、きっとドアロックされて開かない、
と云うことにしていて、まったく触っていなかったのだ。

乗って13ヶ月、その一年はちと忙しく、走った距離は
6千キロちょい、もっともっと乗りたかったなぁと思う。

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渡波(わたのは)はどうなっている

12日の朝、少し空腹を満たし、明るくなったころに行動開始、
二カ所に分かれた退避エリアに行ってみることに行動開始した。

構内のガレキがすごい、ドロもすごい、とごも一階は壊滅状態
なれども、二階は大丈夫、津波はザッと見て7メートル来たか。

ラジオの音が聞こえる、会社の二階エリアから、懐中電灯など
防災グッズになりそうなものが少し集められ、一つにまとめた。

周辺の偵察に出ることにして、何班かに分かれ出ることにした。
近くのスーパーから構内に食料が流れ着いていて、少し食料を
確保出来たり、冷蔵倉庫に惣菜品があったり確保が次第に進む。

会社から日和大橋の方には行けそう、市立病院には行けるかな、
湊中学校には行けるだろうか、皆んなの帰宅ルートはどうか。

本格的に周辺偵察の行動を開始する。日和大橋の方から歩いて
来る人達が居るので、たぶん市立病院までは行けるのではないか。

私は留守番組になった、知らない人が会社の前の道路を歩く、
一階は水没したとは云え、留守番組で防犯の対策を考え始める。

昼前に偵察組が戻り、路上での情報交換もあり、帰宅できそう
なルートも分かりつつ、帰宅出来そうな人は帰宅をし始めた。

石巻市街からのルート、渡波からのルート、何とかあるようだ。
それと魚町から湊中学校へのルートは何とか作れた様子がある。

女川や水明町、湊町の女子社員と中国実習生は湊中学校に避難、
避難と云っても安全なだけで、食料や水の確保は出来ていない。

矢本赤井の方へは、リーダーと班を作って貰い帰宅の途に着く。
渡波の方は、大丈夫のようなので自主的に帰宅して行きました。

昼になり気温も上がり、かなりの情報交換も出来るようになる。
国道398号に出れば「何処から来たの」と聞いて情報を収集、
「○○から来たよ」これでルートが判断出来るので助かりました。

また焼き魚と、拾った缶詰などで昼食をとり、次の対策を練る。
たぶん自宅は住めない、と判断出来る社員は「泊まる準備を」、
「遠くなので今夜も泊まってから行動する」など10人程居る。

安全と防犯、食料の確保、などなど、かなり疲れた記憶がある。
午後2時ころ、鹿妻(かづま)の同僚が帰ると云う、途中までは
一緒に行けるので、帰ることを決断して残る10人に後を託す。

暗くなるのは午後5時として、あと3時間程、着けるかなぁ~

長靴はないので、長靴サイズの防寒靴を履いたが歩きづらいよ。
側溝の蓋が開いて怖いので長い棒を持った、散乱している食料
や飲料を拾いながら歩いた、ドロドロの道路は滑りにすべった。

職場から自宅までは4キロちょい、クルマだと10分足らずかな、
同僚の住む鹿妻まで1時間以上かかり到着して更に自宅に向かう。

ここからは、知っている限り知人の家の確認をしながら歩いた。
国道398号から内陸に入ると、ドロも少なく歩きやすい道路、
歩く人も多くなり渡波地区は内陸にいくほど津波被害は少ない。

うちはどうだ、ワンは生きているか、とまとんは帰っているか。

夜の戸張が降りた

翌朝5時、東の空からボゥッと青く明るくなり始める。
見たくない光景、見なくてはいけない、そんな風景.....

ふむ、このプラットホームの様子は、想像した通り、
冷蔵倉庫の扉は壊れ、荷物も崩れ、機能はALL~崩壊、
これは不謹慎だけど、大地震~大津波の状況からして、
この程度の被害・状況は、何となく予想は出来ていた。

ホームの一部を片付け、BBQコンロを見つけては、
木パレットを壊し、BBQコンロで焚き火を始める。

冷蔵倉庫から誰かがツボ鯛のフイレーを出して来る、
BBQコンロで焼き始めると、急に空腹感を覚えた。

ここで早速第一関門かなぁ~、我先に食べる若い社員、
すでに焼くだけで胸が一杯、腹も一杯な善良な一社員、
んだよなぁ~、食わないと長い一日になるであろう日、
その門出でつまづくような感じでムリヤリ食うやつら。

でも、実は、このツボ鯛、塩加減、焼き加減、良かった、
ひと言で云えば、印象的に「うまかった」本音かなぁ!!

紙の皿もあった、割り箸もあった、でも飲み水がない、
明るくなって、20㎝↑もあるドロを踏みしめながら、
散策を、いや偵察と云うべきか、辺りをウロウロする。

日和大橋からの通り向かいの石巻ガスは崩壊していた、
西隣の数件の隣社屋も崩壊同然、西側も被害甚大でした。

海側の南は、何か震災前と違う風景に見える程になり、
大きなバックホーを振るったようなコワレ方に思えた。

昨夜から総務の同僚が居ない、きっともう一方に避難、
とばかり思っていたんですが、どうも違うような感じ。

誰も言葉に出さないから聞く、○○さんはどうした.....
そうかぁ~、ホームで第一波にのまれてしまったのか。

もう一人、津波の来る寸前にクルマで避難した○○君、
クルマは津波に持ち上げられ、設備の上にのり上がる。

昨夜の内、大きな津波が何波か押し寄せてから、同僚が
クルマの中を確認したそうですが、彼は中に居なかった。

-----

この石巻漁港のある浜は、長浜と云って砂浜なんです。
長浜で海水浴をしていて大きな波と戯れて遊びました。

大きな波に襲われ体が波の力で地面に叩きつけられる、
まさに大津波はそんな感じで襲って来たようなんです。

流された瞬間、地面に叩きつけられながら、必死に地面
を蹴り、水面から顔を出して、浮き上がった○○さん。

流されながら、流れて来た1トンタンクに飛びのった、
これは一寸法師をイメージしたような感じですかねぇ~
抱きついたら電信柱、それによじ登ったら水の上に出た。

ただ、我々が生存できたのは、その濡れた体のまま一晩
過ごしたのでない、鉄筋鉄骨RC構造の社屋が残っていて、
少しの暖がとれて、仲間が居て、励まし合えたからだと思う。

-----

2時46分の大地震、ドカンと云う揺れで動けなくなった、
でも声を振り絞って、二階から皆んなで外に出て待機した。

全員集合しましたが、中国実習生の一人が見つからない。
パニックになって一人で飛び出して行ってしまったようだ。

通勤で使っていたとまとんのクルマに乗る、カーラジオから
大津波が来ると云う情報が流れるも研修生を捜し続けました。

道路に亀裂が入り波打っている、信号機が地中に埋まっている。
女川、鮎川と、津波が来たと云う情報がラジオから流れる。

避難しよう、どこに避難する、見るからに道路は渋滞している。
そうしているうちに、津波が到来。

もしも、クルマ中で津波に遭遇していたら、生きてません。

冷蔵倉庫の扉の脇のはしご階段を使い、必死によじ登りました。
第一波がすぎ、第二波はたぶん天井に1メートルまで来ました。

もし、次の第三波が天井までペロンコになったら、潜ぐろう、
泳いで、あのひさしを出れば何とかなるだろう、と考える。

そうしているうちに、冷蔵倉庫の扉がこわれ、すごい水圧が、
あとで聞くと、5つあるこの扉の水圧で飛ばされた人が居ると云う。

私は飛ばされなかったけど、この扉からでる冷蔵倉庫の圧力、
これはもうダメかなとし思うほど、すごい圧力の水圧だった。

何分経ったろう、水が引いてホームが見えて、事務所の二階に
避難したころは、もう夕方、夜の戸張が降りるころでした。

大震災の幕が開いた

あの日も、星がとても綺麗、そんな夜空を見ていました。
雪がちらつき、少し積雪して、何か同じような3月11日。

おばんでございます。
キリリと空気が冷え、綺麗な夜空のパノラマが見えます。

あの日の、この時間帯は、事務所の二階に待避していて、
濡れた衣服と、暗闇と、寒さと、不安と、余震と、津波と、
不思議と空腹は感じなく、とまとんのこと、ワンのこと、
まだ続いている津波に恐れ、これからどうなるんだろう、
この現実が信じられない、いや、信じたくない夜でした。

神棚にあったロウソクで明かりと暖を取り少し寝ました。
早く朝になれ、早く明るくなれ、サザァサザァと津波が
何度も何度も押し寄せ、ウトウトしても目が覚めました。

余震で建物が音をたてて、RC(鉄筋鉄骨)なのに揺れる、
それでも、寝ないと明日が大変、と思い目をつむった夜。

屋根伝いに、この事務所と別棟に避難している同僚達と
何とか連絡がとれ、あれこれと生存確認を行う、一安心。

翌朝4時に、そろそろ起きても良いかなぁ~ と起きた。
二階の事務所から一階に下り、少し偵察を始めたころに、
何人か起き出して来たころ、空腹を覚え、焚き火の準備。

5時には明るくなり始め、ジワジワと現実が見えてくる。
まあ、この現実を受け入れるしかない、まずは食いもの、
冷蔵倉庫にある魚を焼こう、そして辺りの探索をしよう。

長い夜が明け、長い一日が始まる、本当に長い日でした。
食らうこと、歩くこと、寝ること、聞くこと、見ること、
「生きるためだけに」そんな一日が幕を開けたのでした。

第500回目のそば打ち

あのそば打ち教室から数年、500回のそばを打ちました。
ひと言で云うと「食べてくれる人が居たから」となります。

改めまして、お礼を申し上げます。「有り難うございます。」
やっと「美味しいそば」「切れないそば(汗)」打ててます。

ありがとうございました。

P1150218-1.jpg P1150219-1.jpg
プロフィール

ルビタキ:

Author:ルビタキ:
宮城県石巻市在住

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